掲示伝道(12月no2)
「今までは人のことだと思ふたに、俺が死ぬとはこいつはたまらん」大田南畝
今年も一年があっという間に過ぎ去ってしまいました…。みなさんはどのような一年だったでしょうか? 改めて自らの生活を省みますと、目先のことに追われ、「忙しい」生活を送ってきました。そんな私に大田南畝師の「今までは人のことだと思ふたに、俺が死ぬとはこいつはたまらん」というお言葉が身に沁みます。
私たちは死を体験することはできません。他者の「死」を通して、「死」らしきものを教えられることしかできないのです。ですから、私たちはなかなか自らの死ということについて考えを巡らすことはできないのです。
しかし、死を知らないということは、同時に「生」も知らないということなのではないでしょうか? 私たちは現にこの身をいただいて生きていますから、「生」を知ったつもりになっていますが、本当にそうでしょうか?
私たちは「生死一如」のいのちを生きているのです。そうであるにも関わらず、生はわかったつもりにして、死は遠ざけたいものとして目を背けて生きているのです。ですから、私たちはいざ「死」と直面すると、慌てふためき、事実を事実としてありのまま受け入れることができずに苦しむのです。
とはいえ、私たちは社会的身体を生きていますから、この社会の早い流れの中で乗り遅れまいと必死に前ばかりを見て生きざるを得ません。そのような私たちに、縁ある故人様たちが、その身をもって私たちにいのちの真実を教えようとしてくださっているのではないでしょうか。
私たちが生きるいのちは有限の尊いいのちです。常に一瞬、一瞬、死を迎えるかもしれないいのちなのです。そのいのちを空しく過ごさないためにも、教えを依り処とし、一日一日、一瞬一瞬を大切に生きていかなければと思う年の瀬であります。
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