掲示伝道(12月no1)
「他人との関係とは、その他人の中に自己を見るということに他ならない」池田晶子
哲学者の池田晶子さんは「他人との関係とは、その他人の中に自己を見るということに他ならない」とおっしゃいます。
他者とは、私たちにとってどのような存在なのでしょうか? 私たちは自分と他者を分け、いつでも自分の思いをかなえるために、他者と対立します。そして、思い通りにならなければ、他者に原因を求め、不平不満、愚痴がこぼれ出ます。
しかし、仏教では諸法無我というように、固定不変な「我」という存在を認めません。私たちの存在とは縁起的存在であると教えるのです。この縁起とは固定不変の「我」に縁がくっついた存在を私とするということではありません。あらゆる縁そのものが私となっていると教えるのです。このような眼が開けてみると、私と他者という存在を分けることはできなくなります。この世のあらゆる存在が私となっているということです。
これは何も仏教独自の視座ということではなく、この世の真理そのものなのです。イタリアのカルロ・ロヴェッリという物理学者は、量子力学のミクロの世界を研究した結果、「この世のあらゆる存在は関係でできている」とおっしゃっています。
ですから、他者との関係においてはじめて私という存在が成り立っているのです。その私も、目は外にしか向いていませんから、私自身を見ることはできません。それは内面も同じことなのでしょう。外を見て、自分の思いに叶うか叶わないかで他者を見るのではなく、その他者を通して、私を教えていただく。私という存在は、他者を通してはじめて見えるということを池田晶子さんはおっしゃっているのです。
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