掲示伝道(10月no1)

「 私は正しいと思った瞬間、すでに他人との争いが始まっている 」アドラー


 どうやら私たちは、いつでも自分の思いに立ち、それが正しいと思って生きているようです。自分の思いこそが正しいと思った瞬間、そこには対立しか生まれません。なぜなら、その眼の前の他者も私と同じように、自分の思いに立ち、その思いこそが正しいと思っているからです。

 何でも自分の思い通りにしたいのが私たちです。その思いに苦しむ世界を仏教では「地獄」と教えるのです。生前の行いによって堕ちていく世界が地獄ではないのです。

 そうやって、お互いに地獄を作って苦しんでいるのが私たちです。実際に、科学技術が発達し、近年ではSNSなどが流行した結果、私たちの日常はどうなってしまったでしょうか。 顔が見えないばかりか、匿名で投稿できることをいいことに、平気で他者を誹謗中傷し、ときにはいのちすら奪ってしまうような状況になっています。

 これらの問題は、SNSに問題があるということよりも、私たちの持つ自己中心性、私の立場こそ正しいとする私たちの在り方そのものにあるのではないでしょうか。

 そのような私たちの相を教え、だからこそ救い遂げようとするはたらきが南無阿弥陀仏なのです。私達の目は常に外を向いていますから、自分で自分の相を知ることはなかなかできないのです。教えを生きる中心に据えたからといって、私がそのような思いから離れられるわけではありません。しかし、そのような我が身を知らされるからこそ、他者との関係も開かれ、また他者とともに生きたいという願いに生きることもできるのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です