掲示伝道(8月no1)
「何かを所有するということは、その何かに支配されるということだ」
人間は、狩猟生活から農耕生活をするようなり、所有欲が生まれたと言います。所有欲が生まれるということは、そこに差別が生まれます。所有するものとしないもの。使うものと使われるものといったヒエラルキーが生まれるのです。そうやって人間は歴史上、常に差別を生み、争いを生んできたのでしょう。
所有するということは、そこに執着が生まれます。所有するものを守るために他者と争い、また更に拡大するために、貪ります。そのような私たちの煩悩を貪欲の煩悩というのです。貪欲の煩悩はとどまることがありません。満足を知ることがないのです。自分自身が豊かに過ごしたいと願うそのこころに私たちは常に縛られ、支配され、苦悩するのです。
そのような私たちに対し、仏教では「少欲知足」を説きます。あれが足りない、これが足りないと貪るのが私ですが、仏さまの眼から見れば「いま・ここ・私」とは、すでにして満足自体の存在であるのです。それを知らせるはたらきが仏法であり、お念仏なのです。
仏法とは、私の煩悩、欲望を満たすための教えではありません。当たり前のように貪っている我が身を教えられることこそが大事なことなのではないでしょうか。
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