掲示伝道(2月no1)
「損か得か 人間の物差し 嘘か真か 仏さまの物差し」相田みつを
私たちの心は常に分別心であると仏法は教えます。いつでも自と他を損得、善悪、優劣、美醜等々と分け隔てて生きています。そして、自分にとって得であることは、何が何でも得ようとし、損であることは避けようとします。他者と比べて優れていると思えるときは優越感に浸って他者を見下し、劣っていると思えるときは劣等感に苛まれ、「こんな自分は自分ではない」といって、自分自身ですら切り捨てようとします。いつでも、分別心で別け隔て、その自分の思いで苦しんでいるのが私たちの相なのです。
それに対して、仏さまのモノサシは嘘か真かしかないのです。損得、善悪、優劣、美醜等々と分け隔てることなく、ありのままを智慧のまなこで見抜き、その智慧の光のはたらきで教え示してくださるのが、仏さまのはたらきです。
ですから、私たちはその仏さまのはたらきに南無阿弥陀仏のお念仏に出遇い、私の分別心を破られてこそ、はじめて真に目が開かれることができるのです。大事なことは、私が嘘や偽や仮しか生きることができない事実を教えられること以外にはないのです。自らが正しいと強く握りしめている分別心を教えられるのです。
破られてはじめて、私を私としてありのままの自身を引き受けて生きていくことができるのではないでしょうか。
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