掲示伝道(12月no2)

「ともかくも あなたまかせの 年の暮」小林一茶


 今年も年の瀬を迎え、一年が過ぎ去ろうとしています。毎年、この時期を迎えると「もっと丁寧に生活しておけばよかった」と反省させられる私です。振り返れば、「忙しい」と頭を抱えながら、忙殺される日々を送っている自分がいます。

 忙しく生活している私とはどのような私でしょうか? 「忙」とは「心」を「亡」くすという字で成り立っている漢字です。心を亡くすという字で成り立っている漢字がもうひとつあります。それは「忘」です。

 忙しいと言ってあっという間に時を過ごしている私を振り返れば、前ばかり見て「あれもしなければ、これもしなければ」と必死に眼の前のことに追われて生きています。うまくいかないときは、今度は後ろばかりを振り返って、「ああしておけばよかった…」と後悔や愚痴ばかりです。

 そのような私にとって忘れ去られているもの、失っているものが「いま」です。私にとって何よりも大事なことは、本来「いま・ここ・私」なのです。そうであるにもかかわらず、その「いま・ここ・私」が見失われ、こなすことだけに追われているのが私なのでしょう。それが社会的身体を生きる私の相です。

 そのような私に「いま・ここ・私」を与えてくださるのが、仏法なのでしょう。「いま・ここ・私」を知らされてみれば、阿弥陀さまのいのちを生かさせていただいた、阿弥陀さまの促しによって生かされてきた我が身であることが知らされるのでしょう。

 今年も一年、皆様と共に仏法聴聞させていただいた一年でした。共に聴聞させていただけるからこそ、怠惰な私も歩ませていただくことができております。皆様に感謝申し上げるとともに、今後も引き続き、共に仏法聴聞の歩みを歩ませていただけますよう、お願い申し上げます。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です