掲示伝道(12月no1)

「人間が不幸なのは、

   自分が幸福であることを知らないからだ。

           ただそれだけの理由なのだ。」ドストエフスキー


 私たちは「隣の芝生は青く見える」というように、常に比較心を持って生きています。そして、他者よりも優れたものになりたいと願い、優れていると感じられるときには優越感を抱き、劣っていると感じたときには劣等感を抱えて一喜一憂しているのです。

 私たちの存在は縁によって起こっている縁起的存在であると仏法は教えます。私という確固たる存在があり、そこにさまざまな縁がくっついて存在しているということではありません。あらゆる縁そのものが私となっているということです。ですから、私の思い通りになることなど何一つないのです。そのどうにもならない我が思いに振り回され、迷っているのが私です。

 私の本来のいのちに目覚めることができるならば、何一つ不自由ない私であるはずなのです。その自体満足の我が身が見えず、すでにして救われている存在であることに気付けない私の思いこそが、我が身を引き受けさせず、不幸にしているのではないでしょうか。

 最後の「ただそれだけの理由なのだ」というお言葉が、人間がいかに愚かで悲しい存在であるのかを教え、またそのことに気付くことが、私たちにとっていかに難しいことであるのかを教えているように感じます。このことを知らされるには、教えという仏さまの眼がなければならないのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です