掲示伝道(6月no1)

「本当に自分の弱さを深く知った人が

    その弱さを悲しむ心において ともに歩もうとする」宮城顗師

 

 人は強いもの、優れたものが、弱いものに寄り添うべきだと思っています。しかし、強いもの、弱いもの、優れたもの、劣ったものという二項対立関係のなかでは、本当の意味で相手を思いやり、共に歩むということはできないのではないでしょうか。なぜなら、そこには必ず私の思い、分別心が介在するからです。それでは、平等の世界、共に歩む世界は開けないのです。

 そのような私たちを悲しみ、はたらきかける存在が阿弥陀如来です。自他ともに傷つけ合うような私たちを悲しみ、平等のいのちの世界を開き救い遂げようと、南無阿弥陀仏のお念仏によってはたらきかけてくださっているのです。その南無阿弥陀仏によって、私たちがいつでも分別し、傷つけ合う存在であることを教えられることが大事なことなのではないでしょうか。そのような私を教えられてこそ、共に阿弥陀仏なるいのちによって生かされている縁ある他者と共に歩むということが成り立つのであり、またそのような私を本当に引き受けて生きていける歩みが始まるのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です