掲示伝道(6月no2)

「 嬉しいときでも、悲しいときでも、自分の人生はそこにある 」廣瀬杲師

 

 私たちは常に我が思いで生きています。それは貪欲(貪りの心)・瞋恚(怒り腹立ちの心)・愚痴(真理に暗い心)の三毒の煩悩によるものです。つまり、私たちはいつでも自分の思いによって迷い苦しむ存在なのです。

 私の思いはいつでも、自分に都合のよいものを求めます。そして、都合の良いものはよしとして引き受け、悪しきものは排除しようとして生きています。都合のいい自分だけを自分として、都合の悪い自分は「これは私ではない」と言って、自分すらも排除しようとするのです。

 南無阿弥陀仏とは、そのような私たちに対し、どのような私であっても「これが私である」と引き受けていける世界を開いてくださるのです。仏教を聞けば、自分の欲望が満たされるのではないのです。すべて自分の思い通りになるのではないのです。良い、悪いと言って迷い苦しむのは私の心です。

 そのような私たちに対して、我が思いを破り、どのような私も満足自体の存在であることを教え、引き受けていける世界を開いてくださるのが、仏さまの教えなのです。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です