掲示伝道(5月no2)

「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」曽我量深師


  私たちは一つの世界にさまざまな人々がそれぞれ生きていると考えています。それを武田定光師は「一世界全人類包摂世界観」とおっしゃいます。しかし、本当はそうではなく、私たちが生きる世界は「一人一世界」だと武田先生はおっしゃっておられます。

 私たちが「一世界全人類包摂世界観」で世界を観たとき、直接に私に関係しないことはすべて他人事です。しかし、本当にそうなのでしょうか? 武田先生の「一人一世界」とは、そのような私の思いに「本当にそうなのか?」と問いかけてきます。

 人間関係も一緒です。私たちは自分と他者を常に分け、自分の思い、モノサシで他者を裁定しながら生きています。ですから、自分の思いに適わない存在は悪として裁き、排除しようとします。そこに「私」は存在しないのです。しかし、私たちが仏さまの教えを依り処とし、「一人一世界」を生きるのであれば、あらゆる出来事、他者は、自分の世界内の出来事なのです。もし、目に映るその他者が鬼に観えたのであれば、そう見ている我が身こそが鬼と化しているのではないでしょうか。

 仏教は、常に「いま・ここ・私」にはたらきかける教えです。私たちの思いは、常に私を外に置いて他を云々しようとしますが、常にそのような我が身こそが、教えによって教えられているのです。その我が身を知らされることのほかに、私の本当の救いは成り立ちません。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です