掲示伝道(8月no1)

「 いつも誰かにお世話になっている いつも誰かに迷惑をかけている 」


 以前、何度か葬儀社さんのセミナーにお招きいただき、1時間ほどのお話しをさせていただく機会をいただいたことがあります。そのような場にお集まりの方の多くが、「子どもたちに迷惑をかけたくないから、事前に葬儀の段取りなどをしておきたい」と言って、参加されておられるようです。このお気持ちは非常によくわかるのですが、その背景には、「今は誰にも迷惑をかけていない」という思いが張り付いているのではないでしょうか。

 仏教では私という存在は業縁存在であると教えます。さまざまな縁によって生かされているのが「私」という存在です。いま、ここに生かされていることのすべてが常に誰かのお世話になり、迷惑をかけて生きているのが私という存在なのではないでしょうか。

 そのような自己存在に気付かされてみれば、自己を中心に不平不満、他者批判ばかりしている私の思いが破られ、日々の生活に懺悔と感謝の心を持って生きるということが始まるのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です