掲示伝道(5月no2)
「 佛法とは 隣の人と本当に出遇っていくことです 」竹中智秀師
私が京都の大谷専修学院で学ばせていただいている頃、「隣の人と本当に出遇えていますか?」とよく問われたことを思い出します。
私たちは、身近な人ほど何も言わずとも出遇い、わかり合っていると思って生活していますが、本当にそうでしょうか? むしろ身近な人ほど、わかったつもりになって、相手の気持ちに寄り添うことができていないということはないでしょうか。
私という存在は、どこまでも自己中心的にしか生きられない存在です。自己を立てれば立てるほど、自と他を区別し、相容れなくさせているのです。そういう我が身を仏法より照らされてこそ、本当に隣の人と出遇っていく歩みが始まるのではないでしょうか。それは「我も他人も共に救われていこう」とする仏さまの大いなる願い「南無阿弥陀仏」のお念仏に耳を傾け、自らも念仏申してその願いに生きる歩みに他なりません。
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