掲示伝道(4月no1)

「 明日死ぬということがあるからこそ 今日ほうんとうに生きねばならぬ 」 


 人はみな「死」を畏れ、それを見ないように、見ないようにして遠ざけ生きているのではないでしょうか。このような私たちの生を、竹中智秀先生は「死のない生」とおっしゃいました。生老病死の身を生きているということを頭では理解していても、まだ先のこととして済ませ、あたかも死なないかのように振る舞って生きています。

 そのように死を見ないように生きるということは、同時に「いま・ここ・私」を大切に生きることができないということにもなるのです。生老病死の有限のいのちを生きるということは、常に一瞬一瞬先に死を迎えるかもしれない〈いのち〉を生きているということなのです。

 ですから、死を考える、死と向き合うということは、同時に「いま・ここ・私」を生かしてくださっている〈いのち〉と向き合うことでもあるのです。この有限のいのちに目覚める時、本当の意味で我が身を引き受け、その一瞬、一瞬の〈いま〉を生きることになるのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です