掲示伝道(3月no1)
「 阿弥陀仏は頭の下がる南無の処に住立し給ふ 」 曽我量深師
仏さまとはどのような存在なのでしょうか?
そう考えたとき、私たちは自分とは離れた存在として仏さまの存在をとらえようとします。そのように考えますから、科学が発達した現代において、「仏さまなどおとぎ話の中の架空の存在だ」として、まともに向き合おうともしません。
しかし、仏教で説かれる仏さまとは、自分とは関係ない存在ではないのです。阿弥陀仏とは私のいのちを根底で支え、あなたが「いま・ここ」に生きるいのちの真理に目覚めよと呼びかけてくださっている「いのちのはたらき」そのものなのです。ですから、阿弥陀仏とは、私たちの自我、自らの思い、知識では気づくことなどできない存在なのです。
ですから、阿弥陀仏は私たちがそのはたらきに気づけるように、仮に「南無阿弥陀仏」のお念仏という形になって、私たちにはたらきかけてくださっているのです。南無阿弥陀仏とは呪文のようなものでは決してなく、阿弥陀仏の願いそのものが形となって私たちに届けられたものなのです。
その南無阿弥陀仏の願い、呼び声に耳を傾け、我が身の存在を教えられ、頭が下がるそのときに、阿弥陀仏は私に常に寄り添ってくださっていた存在であったと。阿弥陀仏によって生かされているいのちであったと、私たちは気付かされるのでしょう。
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