掲示伝道(2月no2)

「私を私以上に愛するものを阿弥陀という」武田定光師


私は、私を誰よりも大切に思い、愛しているように思っていますが、本当にそうでしょうか。どれだけ自我愛が強くとも、自らの思いに叶わないような私は受け入れることができず、傷つけて生きているのが私なのではないでしょうか。

そのような我が思いは常に他者だけでなく、我が身すらも「相対分別の眼」で見ているのです。つまり、比較心です。常に他者と比較し、勝っている時は奢り誇って我が思いを振りかざし、劣っていると感じるときは卑下慢に陥り、自らを蔑む。そのような私は、本当に自分のことを大切にできていると言えるでしょうか?

武田先生は、「私を私以上に愛するものを阿弥陀という」とおっしゃっておられます。また、阿弥陀さまの御心を「摂取不捨」、「大慈悲心」といい、その御心を竹中智秀先生は「えらばず・きらわず・見すてず」と教えてくださいました。それは相対分別の眼を破る無分別の智慧によって我が身を教え、どのようなものもみな平等に救い遂げようとはたらかれる阿弥陀さまの大いなる願いであり、はたらきです。

阿弥陀さまの無分別の智慧によって我が身を知らされるからこそ、私は私という存在をありのままに引き受け生きていけるということができるのではないでしょうか。

その大慈悲心、本願は、南無阿弥陀仏をもって私に届けられています。お念仏申す生活のなかに、そのような阿弥陀さまの御心を知らされる生活こそが大切なことであると教えられます。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です