掲示伝道(9月no1)

「 老ひぬれば 心のどこかにありなむと 

           思ひたりけり 誤りなりき 」窪田空穂詠


 愚生も間もなく傘寿を迎える歳となりました。若い頃はまさか八十迄生きることなど思いもしませんでしたが、今はただ気付いたら此の歳に成っていたとの思いであります。同庚(どうこう)の数多の方々が世のため、人のために多くの功労を為されておられるのに、愚身は両親をはじめ、ご縁を戴いた周りの方々に対して深重な恩義を受けながら、「御恩報謝」どころか、恩を仇で返すが如き世を汚し、親しき人を苦しめてきたことかと日夜苛まれ、慚愧の日々を過ごしております。「因果応報」とはこのことでしょうか。

 歌人窪田空穂が老境を迎え、如何なる不安、苦悩を感じておられたのか知る由もありませんが、愚生は苦悩の日々のなかにも「お念仏」に導かれ、何とか「いのち」を繋ぐ今日此頃であります。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です