掲示伝道(8月no1)
「 お浄土に わがちゝはゝはおはすらむ
今日ひざもとへ ゆくとおもへば 」良寛和尚詠
放浪の俳人、山頭火は十一歳の折に、亡くなった母の位牌を胸に懐き、常にその位牌に語りかけながら放浪の旅を続けたといわれていますが、その山頭火の句に
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
の一句があります。家にお仏壇を荘厳することも少なくなり、何事も合理的に対処しようとされる現代人には、此の一句はどう受け取られるのでしょうか。亡くなって何年経とうが、慕わしき心を失わず眼前に居ますが如く語りかける姿こそ、心ある人間の姿ではないでしょうか。
此の良寛さまの一首も、亡き親を慕う思いあれば浄土はなかるべからざるものとして実在し、娑婆の縁尽きたとき両親のましますお浄土へ参らせていただくのだと云った喜びを此の一首に表されておられるのではないでしょうか。
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