掲示伝道(7月no1)
「 栗柿に 涙なしと思うべからず 」沢庵禅師述
大正から昭和のはじめにかけて、山口県の仙崎という漁村に金子みすゞという童話詩人がおられました。そのみすゞさんの詩のなかで特に夜に膾炙されているのが「大漁」という詩でしょうか。
朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。
浜は祭りの ようだけど、
海のなかでは 何万の、
鰮(いわし)のとむらいするだろう。
みすゞさんは幼少の頃から祖母に連れられて金子家の手次寺である浄土真宗・遍照寺にお参りされていたとのことで、みすゞさんの心のなかには仏法が染み込んでいたのではないでしょうか。さもなくば、「大漁」のような詩が生まれてこようとは思われません。みすゞさんの心のなかには、鰯の悲しみを思う惻隠の情にみちていたように思われます。
仏教は路傍の小石ひとつにも、そこに「いのち」を見ていこうとする教えであります。「樹木」に喜怒哀楽などないと見るのは人間の驕りではないでしょうか。宮本武蔵や柳生宗矩を剣聖といわれるまでに導いた沢庵禅師ですが、栗や柿といった樹木にも尊い「いのち」の宿ることを感じ取っておられたのでしょう。
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