掲示伝道(3月no2)

「 いつまでもあると想うな親と金 」古諺


 私たちは日常、例えば健康なときには朝目が覚めて生きているのが当たり前、目が見えるのも、耳が聞こえることも、歩けることも当たり前のように思って暮らしていませんか。多くの人は馴れてしまうと、すべてそのようなものではないでしょうか。しかし、考えてみますと、目が見えるのも耳が聞こえることも、ただただ不可思議でなりません。

 「身体髪膚之を父母に受く」と孝経にありますが、そればかりではありません。成人になる迄、如何程のお手間、お心遣いをおかけしてきたことか。そのようなことを普段全く忘れて一人で一人前になったような振舞いをしているのではないでしょうか。その親も何時迄も元気でいる筈がありません。亡くなって改めて親の有難みに覚めるということかもしれません。

 実を申しますと愚生自身が亡き両親に掌を合わせ懴悔し、許しを乞う日々なのです。瓢水和尚は「さればとて墓に布団は着せられず」と詠まれています。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です