掲示伝道(12月no3)
「 人界に如何なる差別があろうとも 仏の前では平等だ 」
引き寄せて結べば草の庵にて解くればもとの野原なりけり
この歌は頓智で有名な一休禅師の詠まれた歌ですが、如何に立派な家でも沢山の建材、また多くの職人によって建っているのですから、もとの建材等を一つひとつ取り除いてしまえば、もとの更地に戻ります。同様にこの世のあらゆる存在は無量の縁によって仮に存在しているというのが仏教の教えです。それを〈縁起(えんぎ)〉といいます。
私たち人間も例外ではありません。私たちは自身の存在を確かなものとして日常生きておりますが、このような自我のとらわれを〈有身見(うしんけん)〉といい、この有身見によってあらゆる邪見が生じてくるといいます。私たちは「俺が、俺が」と我を主張しますが、「仏法は無我にて候」と蓮如上人も仰せられてあります。何人も無量の縁によって与えられた命ということで、凡て平等なのです。
その縁起ということに覚められたお方が仏さまです。それ故、仏さまの前ではすべて平等なのです。平等の〈いのち〉ですから、そこに慢心を懐いたり、卑下したりするのは全く愚かなことと云わなければなりません。
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