掲示伝道(2月no3)

「 初雪に一の宝の尿瓶かな 」


私たちは自分にとって最も大切なものを「これは私の宝だ」といいます。宝とするものは人それぞれで違いましょうが、壮年期の多くの人は家族、地位、名誉、財産、学歴等を有すれば、それらは掛け替えのない宝と感じておられるのではないでしょうか。しかし、老年期を迎えると、多くの人は壮年の頃は無上の価値のように思われていたものが、無価値に思えてきて、死を意識して常住の世界を求めるようになり、宗教に心の眼を向けるようになられるのではないでしょうか。

「和国の教主」と崇められた聖徳太子は十七条憲法のなかで「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」と仰せられておられます。万民にとって真の宝は「仏とそのみ教えとそこに集う仲間」こそ不変の宝だとお教えくださりました。一茶翁は名誉や地位や財産等々は状況次第で尿瓶程の価値もないものだと私たちにお教えくださっているように思われてなりません。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です