掲示伝道(11月no3)

「 山鳥のほろほろとなく声きけば 父かとぞおもう 母かとぞおもう 」 


記憶が定かではありませんが、「幾たびかお手間かかりし菊の花」という句があったように思いますが、私たちは普段一人で大きくなったような顔をしておりますが、一人前の大人になるまでには、特に両親にどれほどのお世話を戴いたか計り知れません。大変なご面倒をおかけした両親でも、日頃一緒にいると煩わしく思ったり、荒々しい態度で対応したりして、後で反省すること屢々(しばしば)です。

しかし「億劫相別れて須臾(しゅゆ)も離れず」との教えがありますが、両親との永遠の別れを縁に無上甚深の父母の恩忘れ難く、小鳥の囀りにも、一輪の草花にも亡き両親と無縁でない「いのち」のつながりを感じ、手を合わさずにはいられない思いがするのです。

このような心境を詠んだものと、私は理解しているのですが。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です