掲示伝道(5月no3)
「 驚かす 甲斐こそなけれ 村雀 耳馴れぬれば 鳴子にぞある 」
家常茶飯と申しましても煎じ詰めて考えますと、不可思議なことばかりに思われます。馴れてしまうと当たり前のようですが、例えば夜眠れることも、朝目が覚めることも、眼が見え声が聞こえることも、ただ不可思議なことばかりで、ただ南無阿弥陀仏と掌を合わせずにはおれません。
「親しき仲にも礼儀あり」とか、「手ですることを足でする」などと云いますが、私たちは常日頃馴れてしまうと物事をぞんざいに扱ってしまいがちです。心したいものです。
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