掲示伝道(7月no1)

「 もたいなや 昼寝して聞く田うへ唄 」


一茶翁の時代、現代と違って農工具も発達しておらず、田植えも人力であったと思うと、大変な労働であったでしょう。田植唄は、その肉体的疲れを紛らわす一つの手法であったのでしょうか。近くの田圃で腰を屈めて泥まみれになって働いている人との田植唄を聞きながら、一茶翁は何も耕さずに食している自身を慚愧しながら掌を合わせておられたのでしょう。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です