掲示伝道(10月no2)
「人生が愚痴の対象になるか それとも道場として受け取れるか」仲野 良俊
日頃の生活の中で、思い通りにならないことはいくらでもあります。しかし、その思い通りにならなかったとき、苦しいとき、哀しいとき、辛いとき、どう生きるかが問われるお言葉です。
私はつい愚痴が出ます。愚痴が出るというのは、その原因を外に求めているからです。外に原因を求めるということは自分が問題になっていないのです。情けないことです。仏さまの教えは、いつでも私に「あなたはどう生きるのか?」を問うてきます。その問いに立ち、教えを宗として生きるのか、それとも「だって・・・」と愚痴や言い訳を言って生きるのか。
人生を道場として受け取るということは、決して私が抱える苦しみ、哀しみ、辛さを諦めて堪えろということではありません。そのような自分をしっかりと受け止め、教えから教えられるものになりなさいということではないでしょうか。
やはり、道場として受け止めるということは、教えを抜きにしてはないのでしょう。なぜなら、自分は自分で見えないからです。教えによって、はじめて我が身が知らされるのです。だからこそ、教えが必要なのです。教えを宗として生きるとは、そういうことです。
苦しみを誤魔化し、愚痴を言って生きるのか。教えによって我が身を知らされて生きるのか。この問いかけに、私がどう応えて生きていくのかが、問われています。あなたはどのように生きていきますか?
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