掲示伝道(9月no2)
「死を恐れるのは、実は生き方に納得していないからだ」吉田松陰
私たちは日頃、死を恐れ、そこから目を背けて生きているのでしょう。なぜなら、死とは私にとって何を意味するものなのか、死んだらどうなるのか、何一つわからないからです。
では、生きるということは私たちにとってどういうことなのでしょう? いろいろと考えを巡らせてみると、何一つ答えが見つかりません…。そうなのです。私たちは大前提として、生きることは知っているが、死はわからないから恐ろしいと思って生きているのですが、生きるということも実は何一つわかっていないのです。
もっと言えば、生と死を分けることなど、本来できるはずのないことなのです。清沢満之師は、
生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり。
とおっしゃっておられますが、まさに生死一如のいのちなのです。ですから、死がわからないということは、生もまたわかっていないということなのです。
吉田松陰は「死を恐れるのは、実は生き方に納得していないからだ」とおっしゃっていますが、生き方に納得するということは、「私にとって生きるとは何か?」ということが明らかになるということではないでしょうか? その一点が明らかでないからこそ、私たちは死を恐れるのでしょう。
そのような私たちに、南無阿弥陀仏のお念仏は、「あなたを生かすその尊いいのちに目覚めよ」と、いのちそのものから名号となって私たちに常にはたらきかけてくださっています。私に届いた南無阿弥陀仏の教えを聞くことを通して、いのちの真実に出遇っていく歩みこそが聞法生活なのです。
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