掲示伝道(3月no1)
「 事実というものは存在しない あるのは解釈だけだ 」ニーチェ
私たちは日頃、事実や真実というものが確かに存在すると思ってはいないでしょうか。そして、自分が握りしめた事実や真実に照らし合わせて、他人を裁こうとするのです。
でも、誰にでも普遍的な事実というものは、本当に存在するのでしょうか? 何をもって事実というのでしょうか? それは私のモノサシです。私のモノサシで物事を受け止め、それが事実だと言っているだけに過ぎないのでしょう。
ドイツの哲学者ニーチェは、「あるのは解釈だけだ」と言っています。ここで言う解釈とは、私のモノサシのことでしょう。自分がどう受け止めたかということ以外に、絶対普遍の事実など存在しようがないのです。
仏教ではその私のモノサシこそが危ういと教えるのです。間違いないと握りしめたモノサシほど怖いものはありません。そのような私たちのことを、親鸞聖人は
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわこと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします
とおっしゃっておられます。
「ただ念仏のみぞまこと」ということは、仏さまのまなこだけが真実であるということでしょう。その真実のまなこによって明らかにされた私の相が「凡夫」としての私であり、その私によって作られる世界こそが「よろずのこと、みなもって、そらごとたわこと、まことあることなき」世界なのです。
大事なことは、間違いないと握りしめるその私のまなこ、モノサシを、仏さまの教えによって破られることなのです。
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