掲示伝道(7月no1)

「人間としての愚かさというのは、

   実は何に対しても答えを持っているということだ」ミラン・グンデラ


 私たちは生まれてこの方、様々なことを学び、経験して自己形成していきます。そして、それこそが大事なこととされています。

 確かに知識や経験を豊富に蓄えることは、社会を生きていくうえで大事なことかもしれません。しかし、その知識や経験によって形成される自己、自己の思いを絶対化して生きるのが私たちです。私の思いこそが正しいとすることは、そこに排除を生みます。自分の思いに叶うものは受け入れ、叶わないものは排除する。また、自分の思いを絶対化するからこそ、真実を見失うということがあるのでしょう。

 そういった私たちの在り方、得た知識や経験によって常に答えを持っているような在り方こそが、実は最も愚かなことなのでしょう。

 しかし、そのような我が身の在り方は、自分では気付けないのです。私たちの目は常に外を向いているからです。善導大師はそのような私たちにとっての仏法を「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」とおっしゃっておられます。自分自身で我が身に気付けない私たちだからこそ、教えが私たちのすがたを鏡のごときはたらきで知らせてくださるのだということです。

 仏法聴聞とは愚かなる我が身を知らせ、だからこそ救い遂げようとはたらきかけてくださる阿弥陀如来の本願に出遇い続けていく歩みなのです。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です