掲示伝道(6月no1)
「暗闇のなかでこそ 星が見える」
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
阿弥陀如来は、無量光なる仏さまといわれます。無量光とは智慧のはたらき、つまり私たちの存在を照らし、いのちの真理を知らせ、救い遂げるはたらきのことです。
なぜ阿弥陀如来が無量光なる仏さまなのとかといえば、私たちが無明なる存在だからです。無明とは真実、真理に暗い在り方を意味しますが、もっと言えば、私が無明なる存在であるということにすら気付けない在り方を無明というのです。
私たちは今まで学んできた、経験してきたことで自我を形成し、自分の思いを中心に生きています。そして、その思いこそ正義として、自分の思い、モノサシで善悪、優劣、損得等々と分別して生きています。
しかし、そのような私たちの思い、相対分別の眼は真実に背く在り方だと阿弥陀如来は智慧のはたらきをもって教えてくださっているのです。そして、そのような私たちの無明こそが、私たちを迷い苦しめる根本だと教えてくださるのです。
私たちにとって救いとは、自己の欲望を満たすことではないのです。本来の自己に目覚めることこそが、私が本当に我が身を引き受けて生きていける世界を開いてくださるのではないでしょうか。
私たちは、自分に都合の悪いことからは目をそらし、背を向けてしまいがちですが、まさにそのような私を仏法から教えられてこそ、無明なる我が身を教えられてこそ、その私を照らす仏さまの光のはたらきにも気づくことができるのです。
キング牧師も、差別という真っ暗闇から逃れるのではなく、その状況を直視し、我が身の事実として引き受けてきたからこそ、真実なる道を歩むことができたのではないでしょうか。
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