掲示伝道(5月no1)

「聞法とは人に出遇うこと 人からひとへの歩み」宮城顗師


仏法を聴聞することを聞法といいますが、それは何も知識や教養を身につけることではありません。聞法とは、まさに我が身を教えられる歩みなのです。仏教が説く真理の教えとは、他ならぬ自己存在を明らかにする教えなのです。

ですから、仏教で説かれる教えをただ学び、知識を身につけて理解しようとしても、それでは聞いたことが本当に聞いたことにはなりません。仏教の教えが私において何を教えようとしているのかを、聞いたことを通して考えなければなりません。

ですから、聞法とは私たちが今までしてきたような学習とは違うのです。では、私が仏法をどのように聞いていけばよいのかというと、それは人を通して聞いていくのです。私に先立ってお念仏の教えに出遇い、その教えを生きる依り処として歩まれる人を通して、はじめて仏法は伝わるのです。

そのことを宮城先生は「聞法とは人に出遇うこと 人からひとへの歩み」だとおっしゃっているのではないでしょうか。師や同朋(仏法聴聞の中間)と共に聴聞することを通して、仏法は伝わっていくのです。

そのようにして人から人へと伝わってきた仏法をいま、ここの私が受け取ったということは、私自身もその教えを依り処として生き、いただいたことを人に伝えていくという責任を担うことでもあるのではないでしょうか。

それは何も、難しい仏法の話を誰かに教えるということではなく、お念仏申すすがた、その声こそが相手に伝わるのです。

当院においても、毎月1回第一土曜日に聞法会を開いております。是非一緒に仏法聴聞しませんか?

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です