掲示伝道(3月no2)
「苦しみも 悲しみも
自分の荷は自分で背負って歩かせてもらう
わたしの人生だから」東井義雄
苦しみや悲しみを抱えていない人はいないでしょう。いま、その自らが抱える苦しみや悲しみと私たちはどのように向き合うことができているでしょうか。
私たちはいつでも、自分の都合に叶うことが大事だと考えて生きています。生老病死の身の事実を生きているにも関わらず、より若く健康で長生きしたいと願う。人生がよりよく生きられるために、地位や名誉や財産を得たいと思う。さまざまなことを願い、願いに叶わないことはなるべく避けて、見ないようにして生きているのが私です。
ですから、いざ自分の思い通りにならない出来事に遭遇すれば、なんとかしてそこから逃れようとし、時にはその現実に対して、外に原因や責任を押し付けて、愚痴が出る。
仏教は私たちの存在は縁起的存在であると教えます。あらゆる縁が私となっているということです。ですから、私が生きることにおいて、思い通りになることなど何一つないのです。私にとってよい事も悪いことも、すべては縁にもよおされて起こっていることです。その事実を我が身の事実として引き受けることができるかどうかが本当はいちばん大事なことなのではないでしょうか。
「こんなはずはない」「こんな自分は自分ではない」「こんなことが起こったのは誰々のせいだ」として、事実を引き受けることができないからこそ、私たちは迷い苦しむのでしょう。どのようなことであれ、我が身に起こった出来事を我が身の事実として引き受けて生きていくところに、はじめて私の人生の歩みが確かなものとなるのではないでしょうか。
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