掲示伝道(8月no1)
「本当のすくいとは 自分勝手な決めつけから開放されることです」一楽真師
「救い」と聞くと、自分の思いが満たされた、自分にとって望ましい状況、状態になることと私たちは考えます。しかし、それでは本当の救いにはならないのです。なぜなら、私の思いとは煩悩であり、煩悩を満たす方向には、私たちの救いはないのです。むしろ、その煩悩こそが苦悩の根本なのです。
私たちは、この生を授かってからさまざまなことを学び、経験をして成長していきます。その過程のなかで、いつの間にか「常識」という固定観念を持ち、それを絶対化して、その思いではかってさまざまなことを判断し、行動しています。その常識とは私の思い、モノサシですから、いつでも違うモノサシとぶつかることになります。
また、そのモノサシはいつでも私自身すら分別し、ときには自分を受け入れられず排除しようとします。その私のモノサシ、固定観念、勝手な決めつけを破るはたらきが仏法、仏さまの教えなのです。破られてみれば、私が大事にしていたそのモノサシがいかに自分勝手なものだったのか、いかに不確かなものだったのかが教えられるのではないでしょうか。
一生懸命に握りしめていた、絶対の立場にしていたそのモノサシを大きくすることが私たちにとって大事なのではなく、そのモノサシを破られ、分別を超えた広い世界が教えられることこそが、本当の救いなのではないでしょうか。
0コメント