掲示伝道(12月no2)

「 立ちすくむ その時々に 射す光 」池田勇諦師詠


 池田勇諦師は、仏法聴聞において南無阿弥陀仏が来てくださるということについて次のようにおっしゃっておられます。

 南無阿弥陀仏が来てくださる来方というのは、掴んだりもらったりするというようなものではない。この「立ちすくむ その時々に射す光」です。だから、信心というのは、親鸞聖人は「一念の信」とおっしゃるでしょう。「ひとおもいの信」なのです。つまり、一瞬の信なのです。一瞬射す光として来てくださるのです。そういう来方なのです。「もう掴みました」というような話ではない。立ちすくむから、そこで一瞬射す光。真実の私になってくださる。「ああ、そうだったな」と一瞬気付かされる。けれども、また次の瞬間は自我の主体に立っているわけです。だから、また一瞬の光として道が来てくださる。これはまさに一念の信の反復です。反復が始まるわけなのです。

 私たちは、仏法を聴聞すれば自らが望むような結果が得られる、悩み・苦しみを離れ、理想の自分になれると思っているのではないでしょうか。しかし、そうではないのです。仏法聴聞することによって、いよいよ煩悩具足の我が身を知らされるのです。そして、その歩みとは決して終わりのない歩みなのです。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です