掲示伝道(2月no3)

「称うれば 罪も障りも春の雪 降りつゝ消ゆる こゝちこそすれ」利井鮮妙詠


 此に「称うれば」とありますのは、お念仏のことでありましょう。「歎異抄」第七条に「念仏者は無碍の一道」とあります。「念仏を称える者の歩む道に障りはない」との意です。

 仏さまは私たち衆生を「煩悩具足の凡夫」と仰せられてあります。八万四千の煩悩と云われる如く、数知れぬ煩悩が、起こすまいと力んでみても、例えば如何に身体を清めても清めても、身体の到る処から汚物が止めどなく流れ出る如く起き出てまいります。

 同じ「歎異抄」第一条に「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」とあります。自力にては救われようのない地獄必定の衆生を何としても救わんがために、阿弥陀如来が「念仏衆生摂取不捨」、つまりは「ナムアミダブツ」とお念仏を称える衆生を一人残らず救わずにはおかぬとの大願をおたてになられたとのことであり、煩悩具足の我ら衆生はその大願を信じ念仏申す身となれば、罪悪深重の身ながら、その業報を受けることなく安らかなる道が開かれるとの意が、このお歌のこころと思われます。




真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です