掲示伝道(2月no2)

「 人生の一大事を忘れると、人はどうでもよいことに争い啀み合う 」


 三帰依文の冒頭に「人身受け難し今已に受く」とあり、また蓮如上人は『御文』二帖目七通に於いて「それ人間界の生を受くることは、まことに五戒を持(たも)てる功力(くりき)によりてなり、これ大きに稀なる事ぞかし」と示されておられます。此の世に人間として生まれ出づることは徒言でないことは慥かでしょう。そのような有難くも尊い人間としての生を受けながらも、日々欲や瞋り、妬みといった煩悩に振り回される人生であったとしたら、悲しくもあり赦されることではないと思われます。

 稀にも得難い「いのち」を生きる此の身と自覚されたならば、如何なる境遇に生かされる身であろうとも、絶対無限なる一味平等の大慈悲を用(はたら)かれる御仏に遇うことこそが人間界に生を戴いた者の一大事ではないでしょうか。両の手を合わせ、御仏を拝むことを忘れて、人を殴り物を奪うだけの掌にするのであれば、尊くも有難い人間の生を受けながらも餓鬼畜生といった虚しい一生であったと云わざるをえないのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です