掲示伝道(5月no1)

「 わが病は 如来を慕う縁(えにし)なり 病を菩薩といただきて行かむ 」 


私たちは常日頃、自分の力で寝起きし、ものを見、音を聞き、飲食をしていると思っていないでしょうか。つまり、自分の力で生きていると思いがちですが、しかし、少し体を病むと、自分の力では何もできないことに気付かされます。不眠症になれば自分の力で眠ることも覚めることもできないことに気付かされます。見るも聞くも飲食も同様でありましょう。

心臓が止まったら私たちは生きてはおれませんが、その心臓は生まれてから此の方、寝ても覚めても休むことなくはたらいてくれているお陰で私たちは生きていられるのだと思えば、不可思議な用(はたら)きによって私たちは生かされていることに気付かされます。

病を通してその様な大事なことに覚めさせてもらえたならば、正に病を善知識さま、菩薩さまと拝まずにはいられないのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です