掲示伝道(12月no3)

「 歳晩の罪ふかき身におののけど 有難きかなみ仏の慈悲 」


師走を迎えるとよく忘年会という声を聞きます。「今年一年の嫌な出来事は忘れて、心持ちを新たにして新しい年を迎えよう」との思いでしょうか。しかし、歳末を迎えて此の一年の自身の行動を聢りと顧みることが最も大事なことではないでしょうか。自身の此の一年を顧みますれば、「遣らんでいいことを遣り、言わんでよいことを言い、思わんでよいことを思い」、そして人を傷つけ、不快な思いをさせてきたことかといったことに気付かされて、自身の罪深さに心が苛まれます。

そんな折、親鸞聖人の「正像末和讃」のなかの「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず」また、「生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」とのご和讃を戴くと、み仏の願力は愚生のような罪深い者にこそ、そそがれてあると聞かされます。すると、心柔ぎ、軽やかになる思いがいたすのであります。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です