掲示伝道(6月no1)

「亡き人との別れは、出遇い直しの始まり」


 人間が抱える苦しみを仏教では「生・老・病・死」の四苦に「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」で四苦八苦として教えます。

 自らが抱える生老病死の苦しみはもちろんのこと、私たちは愛する人を失う恐れ、苦しみを常に抱えて生きています。いのち終えていけば、もう二度と対面し触れることも会話をすることもできない悲しみ、寂しさ、苦しみは、とても辛いものです。

 この苦しみは、どこから来るのでしょうか? それは生のみが大事であり、死はすべての終わりだと考えるからではないでしょうか。でも、本当にそうなのでしょうか。愛する人が亡くなれば、すべてが終わってしまうのでしょうか。

 もし、そうなのであれば、なぜ私たちは仏事を勤めるのでしょうか。それは、亡き人との別れがすべての終わりではないからです。新たに仏さまとして出遇い直すということがあるからなのでしょう。仏に成る(成仏)と言いますが、私たちが仏事を通して亡き人を仏にしてあげるのではなく、すでにして仏となられた仏さまとして出遇い直すことが大切なことなのでしょう。仏さまとして仰げた時、悲しみ、寂しさがなくなるわけではないけれど、故人さまから、我が身を問われ、知らされる生活が始まるのです。

 それは、南無阿弥陀仏のお念仏として私たちに呼びかけられているのであり、その呼び声に南無阿弥陀仏と応える生活こそが亡き人と出遇い直すことでもあるのです。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です