掲示伝道(11月no1)
「如来とは、私どもを生かしている“いのち”のはたらきをいう
如来は、「あなたはあなた自身としてちゃんとそこにいるよ」と、
声なき声をもってよびかけている」狐野秀存師
私たちは日頃、〈いのち〉は自分のものと思っているのではないでしょうか。だから、自分の思い通りにしてもいいと思っているのです。自分の思い通りになっているときはいいのです。しかし、思い通りにいかなくなれば、こんな自分は自分ではないと言って、自分のいのちすら傷つけようとするのが、私たちの思いです。自らのいのちすらも、善悪・優劣・美醜等々と分別するのです。
しかし、私が「いま・ここ」に生きる〈いのち〉とは、阿弥陀如来のはたらきによって生かされている〈いのち〉だと狐野秀存先生はおっしゃいます。そして、その〈いのち〉のはたらきとして、如来はいつでも「あなたはあなたのままで、十分満足自体の存在として、尊い存在としてここにいるのだ」と、どのような私であっても、声なき声で呼びかけてくださっているのです。その呼び声こそが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。
南無阿弥陀仏とは、そのような阿弥陀如来の本願からの呼び声であり、その呼び声に耳を傾け、念仏も薄生活のなかに、はじめて私たちは、自分をありのまま引き受けて生きていくことができるのではないでしょうか。
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