掲示伝道(9月no1)
「人間は闇の自覚なしに、光の自覚があろうはずがない」高光大船師
私たちの救いとはどのようなことを意味するのでしょうか? もっと言えば、私たちは何に苦しみ、何に迷っているのでしょうか?その自らの闇、つまり迷い苦しみと真向かいになることなく、救いなどはっきりするはずがないと高光師はおっしゃっているのではないかと思います。
仏教では、私たちの存在を貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩を持った凡夫であると教えます。その煩悩によって、地位や名誉や財産、もっと言えば若さや健康や長寿を願い求めて生きています。ある意味でこれらが満たされれば自分は救われると思っているのではないでしょうか。しかし、これらの欲はどこまでいっても満たされることはないのです。それは私たちの欲に限りがないからです。もし、そういうことだけを求めているのであれば、人としての本当の救いなどはっきりしようがないのではないでしょうか。
大事なことは、目をそらし続けている「いま・ここ・私」が抱える苦悩と真摯に向き合うことです。向き合うところに、はじめて教えが教えとしてはたらいてくださるのであり、光と象徴されるような救いとして私たちに実現するのではないでしょうか。
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