掲示伝道(5月no1)

「他人を見るのは私の眼 私を観せるのは仏の眼」


 私たちの眼は外に向いて付いているので、外しか見えません。当たり前と思うかもしれませんが、このことが実はよくわかっていないのが私たちです。

 私たちは自分では、自分のことをよくわかっているように思っていますが、実はそうではありません。外しか見えない眼しか持ち合わせていませんから、我が身こそまったく見えていないのではないでしょうか。「人の振り見て我が振り直せ」と言われますが、外からのはたらきによって我が身を知らされるほかに、我が身の事実を知ることはできないのです。

 また、その外しか観えない自分の眼こそ確かなものだと思っているのが私たちです。私の眼で観たものを、私の作り上げたモノサシで裁くのです。そこに私という存在は完全に抜け落ちています。

 ですから、私たちは自分で自分の存在がいかなる存在なのかを知ることはできませんし、その知らないということにすら気付けないのです。その私の握りしめているモノサシ、私の眼こそが、私を苦しみ、迷わせているということを知らせるのが仏の智慧の眼です。

 私たちにとって大事なことは、その仏の眼によって知らされる我が身を教えに尋ね続けていく歩みなのではないでしょうか。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です