掲示伝道(3月no2)
「自己とはなんぞや これ人生の根本的問題なり」清沢満之師
私たちは日頃、自分のことは自分が一番よくわかっていると思って生きています。しかし、それは本当にそうでしょうか? 昔、ある先生から「あなたは誰ですか?」と問われたことがありました。皆さんなら、何とお答えになられるでしょうか。氏名や住んでいる場所、学歴や職業などで答えるのではないでしょうか。しかし、それらはすべて私に付属した条件や環境でしかないのです。そもそも私たちはどこから生まれてきてどこに還ろうとするものなのか? いま・ここに生きるいのちとは、一体いかなるいのちなのか? 私の根本を言い当てることはできないのではないでしょうか。
仏教では、そのような真理に暗い在り方を「無明」と教えます。この無明とは真実を知らないということではありません。もちろんそうなのですが、真実を知らないということすら気付けていない在り方を「無明」というのです。つまり、私たちは自分のことをよくわかっていると思っていたり、私の目に映るもの、聞いたもの、私の思いこそが真実であると思っていることこそが、迷い苦しみの根本であるということです。
よく「自分らしく」という言葉が使われますが、自分らしさとはなんでしょうか? それはあるがまま、どのような私をも引き受けて生きることの他にはありません。しかし、私たちは自分で思い描いた自分像に何とか合わせようと迷い苦しんでいるのではないでしょうか。
そのような私たちに本来の、あるがままの我が身の事実、いのちの事実を知らせ、満足自体の世界を開いて救い遂げようとされるのが阿弥陀如来であり、南無阿弥陀仏のお念仏なのではないでしょうか。
何よりも大事なことは、そのような教えに耳を傾けながら、我が身を明らかにしていく歩みなのではないでしょうか。
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