掲示伝道(3月no1)

「 人間の期待する救いによって 

 人間が真に救われるということはない」廣瀬杲師


 私たちが「救い」を求めるといったとき、何を求めて生きているのでしょうか。それはきっと、地位や財産や名誉、健康や若さ、よりよい人間関係などではないでしょうか。神社やお寺でお願いごとをされる方のお願いのほとんどはそういったものなのでしょう。

 しかし、仏教では、それら人間が期待し、求めるような救いは、〈ほんとう〉に私を救うものとなならないと教えてくださっています。言ってみれば、私たちが求めている、期待しているものは、すべて私たちの欲の延長上にあるものでしかありません。人間は欲で苦しんでいるのに、その欲で救われることはないのです。もっと言えば、その欲が満たされるということはありません。求めれば求めるほど、手にしたと思っても、次から次へと欲は溢れるように湧いてくるのです。

 そうではなく、足りない、足りないと不平不満ばかり言っていた私ですが、ありのままの私こそが満足自体の私であったと気付かされることこそが、大事なことなのではないでしょうか。満足自体の〈いのち〉に目覚めることで、私が私のままに、その身を本当に引き受けて生きていくことができるのです。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です