掲示伝道(1月no1)

「今年こそはと 思う心に 今はなし」

 

新年明けましておめでとうございます。

 一昨年は、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始し、21世紀の現代においてこんな悲惨な戦争が起こるのかと衝撃を受けましたが、昨年はハマスがイスラエルにテロ行為を行い、今なお激しい争いが続いています。改めて、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」我が身の恐ろしさを痛感させられるようなできごとです。

 武田定光先生は我々が生きているのは「一人一世界」だとおっしゃいます。私たちは、一つの世界のなかにあらゆるものが共存して生きていると思っています。しかし、そのような感覚こそが、世界で起こっているあらゆる出来事が、私とは関係ないことにしてしまっているのではないでしょうか。武田先生の言う「一人一世界」とは、あらゆる出来事は、すべて私一人が引き受けていくべき問題であるということなのではないでしょうか。なぜなら、「私」とは、あらゆる存在との縁によって成り立つ存在だからです。

 ロシアとウクライナの問題も、ハマスとイスラエルの問題も、その背景をたずねれば、とても複雑な問題があり、簡単に解決することはできなそうです。もっと言えば、それぞれがそれぞれに自らをかえりみることなく、正義の立場に立って自己主張し続ける限りは、平和などありえないのでしょう。

 それは、どこかの、誰かの問題ではなく、私一人の問題なのでしょう。私が抱える自己中心的な思いこそが、あらゆる争いを生み出す根本なのです。仏法は、そのような私一人に対して、光を当てているのでしょう。

 毎年、年末には「今年もあっという間に過ぎてしまった…」と後悔し、年初には「今年こそは!」と思っては後悔ばかりを繰り返しているのが私ですが、大事なことは先ばかりを見つめるのではなく、「いま・ここ・私」がどのように生きれているのか、そのことが一瞬、一瞬、仏法より問われています。

 今年も一年、皆様と共に仏法聴聞させていただきたいと思っております。

 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です