掲示伝道(11月no1)

「 迷いとは心が二つになること 悟りとは心が一つになること 」


私たちが、「救いを求める」といったときに、それはどのようなことを指しているのでしょうか。

私たちは自らの煩悩によって、常に苦しみ迷う存在です。その苦しみ迷いから離れたいと考えるのが私たちですが、それは私の思いに叶う、都合のいい状態になりたいと思っているだけのことなのではないでしょうか。

仏法が私たちに教えてくれていることは、我が思いを満たすようなものでは決してありません。むしろ、その苦しみがおこってくるもとを教えてくれているのです。そのもととは、自分の思い通りにしようとする心です。私の存在とは縁起的存在です。あらゆる縁によって生かされているのです。ですから、本来私の思い通りになるようなことなど一つもないのです。にもかかわらず、自分の思い通りにしたいという心しか私たちにはありませんから、苦しむのです。

そのように、身の事実と私の思いが二つに離れてしまっている状態を迷いというのです。そうではなく、その身の事実以外にはないのだと仏法より教えていただく、我が身を引き受けていけることこそが悟りだと、この法語は教えてくださっているのではないでしょうか。本当に救われていくということは、このこと以外にはないように思われます。

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

親鸞聖人の「南無阿弥陀仏」のみ教えを共に聞法するお寺です