掲示伝道(9月no1)
「 おまえさんな いま一体何が一番欲しい あれもこれもじゃだめだよ
いのちがけでほしいものを ただ一ツに的をしぼって言ってみな」相田みつを
何か欲しいものはあるか? と問われれば、いくらでもあれもこれもと出てくるのが私です。しかし、私が〈ほんとう〉に欲しいものはなんでしょうか? あれもこれも欲しいと言って貪欲に溺れ、満足することを知らずに迷い苦しんでいるのが私です。私が日頃求めるようなものに、〈ほんとう〉の満足を与えるものなどないのです。『大無量寿経』に
尊もなく卑もなし。貧もなく富もなし。少長男女共に銭財を憂う。有無同然なり。憂思適に等し。屏営愁苦して、念いを累ね慮りを積みて、心のために走せ使いて、安き時あることなし。(『仏説無量寿経』巻下・『真宗聖典』P58)
(身分の高いものも低いものも、 貧しいものも富めるものも、 老若男女を問わず、 みな金銭のことで悩んでいる。 それがあろうがなかろうが、 憂え悩むことには変りがなく、 あれこれと歎き苦しみ、 後先のことをいろいろ心配し、 いつも欲のために追い回されて、 少しも安らかなときがないのである。)
と説かれていますが、これが私たちの日頃の相です。
そのような私たちに「少欲知足(欲を少なく、足るを知る)」を説き、私にとって〈ほんとう〉に大切なもの、〈ほんとう〉の私の願いを教えてくれるものが阿弥陀さまの本願であり、南無阿弥陀仏のお念仏なのではないでしょうか。だからこそ、日々のさまざまな煩悩に煩わされて悩み苦しむ生活の中にこそ、念仏申す生活が願われているのです。
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